私は『死ぬまでにやることリスト』というのをNotionで管理している。
直近だと「『回らない高級寿司店で特上のものを食べる!』」という項目を達成した。
例によってリストの中にあった
『フルマラソンを完走する』
を2026年1月25日に達成したので、今回はそれをログ的に残しておく趣旨だ。
出場の経緯

まず今回出場したマラソン大会は『第46回 館山若潮マラソン』。
元々は同年2月開催の『京都マラソン2026』に参加したく抽選に応募していた。

というのも『京都マラソン2026』は任天堂がプラチナパートナーとして参戦することが発表されていた。
40周年を迎えるマリオブラザーズがビブスにもあしらわれるということで、それを動機にゲーム好きで陸上経験のある友人と2人で参加しようとしていたのだ。
……ところが、非常に高い倍率を前に残念ながら2人とも落選。
当落が発表された10月末の時点で、既にマラソン練習を始めていたこともあり「このままでは終われない…!」と近い日付のマラソンを検討した。
いくつか候補はあったが、
- フルマラソンであること
- 同じコースを何回も周回する形式でないこと
- 東京から比較的行きやすいこと
などの条件を踏まえて最も良かった代案として、今回の『第46回 館山若潮マラソン』に参加したという経緯だ。
練習期間と内容

前提として当時の私のスペックはこんな感じ
- 30歳 男性 在宅デスクワーカー
- 中学はバスケ部だったが、最後の運動は高校の体育
- 高校卒業以降は10年以上ほぼ運動せず
ガチで久々の運動だったので「流石にヤバイかな?w」などと友人にヘラヘラ喋っていたが、案の定、練習初日3km走っただけで盛大に嘔吐した。
練習期間としては10月頭~1月中旬 くらいまでで、残りは大会までの調整という感じで過ごした。
10月: 基礎的な足作り
11月: 距離を伸ばす
12月: ペースを上げる
1月: 仕上げ&調整
といって配分だった。
練習0ヶ月(10月)
先述の通り10月頭の練習初日、たった3km走っただけで限界を迎えた時の深い絶望感は今でも鮮明に覚えている。
夜の河川敷を練習場所としていたが、普段まったく家から出ないデスクワーカーとしては景色が広がり星も見える河川敷の風景はかなり心地が良くテンションも上がっていた。
ロケーションも相まって、走り始めは意外なほど身体も呼吸も楽で「意外と走れそう!気持ちいい!」くらいの感じだったが、1kmも走ったら息はかなり乱れ始め、全体が一気に崩れ始めた。
「5kmくらい走るつもりだったけど、初日だし3kmくらいで止めておくか…」とか考えながらひとまず3km走り終えた時には、下半身はガクガク。内蔵が上にあがってる感じがあって、数秒後に嘔吐。
「3km走っただけでこれか…」
「あと39kmあるが…」
「3ヶ月でいけるのか…」
全然行ける気がしてなかった。
いい大人が河川敷で半べそかきながらトボトボと帰路についた初日だった。
練習1ヶ月(11月)
とにかくやるしかない、と様々な記事やYoutube動画などでフルマラソンの攻略法を調べる中で
「フルマラソンの練習にはLSDがおすすめ!」と知った。
LSDというのは怪しいクスリとかではなくで、Long Slow Distance つまり、『長く・ゆっくり・距離を走る』トレーニングのこと
1.よりエネルギーを溜め込める身体になる
2.粘れる脚になる
3.距離に対する自信がつく
ということらしかった。
この月はとにかく「ゆっくり、時間をかけて、距離を伸ばす」ということに終始した。
2~3日に1度のペースで夜に練習を積み重ねて、3km→5km→8km→10km といった具合で徐々に時間と距離を伸ばしていった。
LSDでは「ペースを上げない、ゆっくり走る」ということが、結果的にステップ数を稼ぎ、脚作りに寄与するということも知った。
この練習は当時の私にとって非常に効果的で、ほぼ歩きみたいなペースで行うため負荷も比較的軽く、しかも距離が着実に伸びていく楽しさがあった。
結果的に効率的に練習を積むことができ、11月の末には30kmのLSDに成功することができた。
もちろん時間は5時間近くかかったし、歩きも混ぜながらの30kmではあったが、兎にも角にも『30km動き続けられた』という事実がめちゃくちゃ自信になった。
練習2ヶ月(12月)
距離は順調に伸ばすことが出来たが、次の課題は速度だった。
館山若潮マラソンは6時間制限かつ、足切りがあるレースだった。

全4箇所の関門を、制限時間以内に突破出来ないと脱落してしまう。
LSDで「動き続ける」ということは出来つつあったが、しっかり速度を守って「走り続ける」ということが次の課題となっていた。
この12月は
- Eペース走(息が大きく切れず、長く走り続けられるスピードで走る)
- ビルドアップ走(走るペースを段階的に上げていくトレーニング)
などに取り組み、「スピードを出す・それを維持する」という方向性でトレーニングを積んでいった。
すると段々と自分のペースが掴めるようになり、
「1km 8:00 なら割と維持できるな…」
「1km 7:30 だと結構キツイな…」
「1km 7:00 だと距離伸ばせないな…」
など1kmあたりどのくらいの時間がかかり、どのくらいキツいかという感覚が養われていった。
また、このあたりからスポーツ整体も通うようになった。
膝の痛みが出始めていたのと、リカバリーを早める狙いだった。
強張っている筋肉や、膝の痛みの原因、使えると有利な部位などをご教示いただき、結果的にいって正解だったと感じている。
練習3ヶ月(1月)
年明け、初週になんと風邪を引いてしまった。
これが厄介なことに長引き、1月は結果的にロング走は2回程度しか出来ず、あとは調整期間という感じになってしまった。
最後のロング走は「24kmを3時間フラットで走れたが、足はもうほぼ限界」といった所感だった。
「このペースを残り18km保つことが出来るのか…?」という不安を抱えてはいたが、ラスト1週間はグッと我慢して休養に集中した。
フルマラソン当日
前泊
このマラソンへの参加が確定した時点で宿を探したが、会場周辺の宿はすでに満室ばかりとなっており、ちょっと離れた木更津駅近くのビジネスホテルで前泊した。

前日の夜は友人のススメでうどんを食べた。
糖質を入れておいた方が良いとのこと。
スタートまで

早朝、木更津駅を出発して、1時間半ほど電車に揺られ、会場から最寄りの「那古船形駅」に到着。
ここから歩いて会場の「福原有信グラウンド館山」に向かう。

会場到着。ここで荷物の預け入れや着替えなどを行う。
割と早めに到着できて写真のような感じの空き具合だが、この後どんどん人が集まり最終的にはフェス会場のような感じだった。
会場のすぐ裏手には海岸沿いの歩道があり、ここでウォーミングアップをする選手が多かった。
我々もアップやストレッチを行い、レース開始に備える。
エントリー時点で申請した、自身の「完走予想タイム」に沿ってブロックごとに区分けされていく(当然私は最後尾のブロックだ)
マラソン開始

凄い人口密度。
5000人の参加者が通りを埋め尽くすスタート地点。
全員自分より速そうな気がして気圧されたり緊張もしたが、もうここまで来たらやれることやるだけだ。
10:00 レース開始。
42.195kmの戦いが幕を開けた。

北条海岸沿いの通りを5000人のランナーが駆け抜けていく。
天気も最高で、波が朝日にキラキラ光るオーシャンビューのコース。
まず驚いたのは沿道の応援の量。
前半10kmくらいまで途切れることなく沿道の人が「頑張れ!」「楽しんで!」と声かけてくれたりハイタッチしたり、こんなにも応援してくれる人が多いんだとかなり驚いた。
次に驚いたのは想像以上のフェス感。
待機列ではわからなかったが、
- コスプレしている人
- 団体で同じ衣装の人
- ほとんど着ぐるみの人
- 動画撮影しながら走っている人
みたいな感じでお祭り騒ぎだった。

背中に「風除け上等!」と書かれた「塗壁」のコスプレをした人が、宣言通り我々の風除けになってくれる時間などもあった。逞しすぎるだろ。
ファンランの部はまた別で用意されているのに、フルマラソンの部でさえもそんな感じで賑やかだった。
マラソン中盤
10km越えた辺りで山間部に入りはじめた。
速さと距離のバランスを取りながら、関門を目指す。
ここから重要になったのが「エイド」だった。

(※画像はイメージです)
個人の体重にもよるが、フルマラソンは2000~3000kcalのカロリー消費がされる。
適切にエイドでカロリー補給しなければ、エネルギー切れを起こしてしまう。
練習中に、その知識が足りておらずハンガーノックを起こしたことがあったので、マラソン当日は胃が許す限りこまめに補給していこうと考えていた。
自身でもエネルギージェルを6パック持っていっていたが、運営が用意してくれていた飴、バナナ、チョコ、ナッツなどのエイドにも非常にお世話になった。これがなければ完走は難しかっただろう。
中盤戦でも多くの出会いがあった
- 応援に毎回大きくリアクションする律儀なおじさん
- グループと離れてしまったのか、電話で連絡を取り合う人たち
- トイレ待ちで並ぶ人
- 途中で倒れて救護されてた人
- リアル猪(本当に野生のやつ)
- 80歳のじいちゃん(ビブスに年齢書いてた)
リアル猪はマジで体当たりとかされたら洒落にならないようなサイズ感で、スタッフが対応する怖い一幕だった。
私個人でいえば猪とちょっと並走するみたいな時間があってガチビビリしてた。お陰でちょっとタイム巻いたかもしれん。
そんな猪さえも抑えて、特に印象深かったのが
47都道府県フルマラソン制覇中のお姉さん
だった。
背中に背負ったパネルには「現在 25県 達成!来週は”愛媛”」と書かれていた。
とんでもないバイタリティだなと感じて、思わず話しかけてしまったが、気さくに会話に応じてくれた。
「毎週くらいのペースでフルマラソン走ってるんです」
「スピードは全然遅いんですけどね」
「この大会は坂が多くてちょっと大変ですよね」
といった感じで、不躾に話しかけたにも関わらず笑顔で語ってくれた。
なお、スピードは全然遅いとのことだったが、余裕で私よりも速いため、しばらくはこのお姉さんの背中を追いかけることを目標に走っていた。
エイドを入れて、走り出して、坂などでは歩きも混ぜつつ、一つ一つの関門を何とか時間以内に突破していった。
マラソン終了
26kmくらいのところで、エゲつない激坂区間に入った。
山間部の頂上に近いエリアで、キツく、長い坂をほとんど歩きながら進んだ。
永遠のような登りが終わって、沿道のスタッフも「山越えお疲れ様でした!」みたいな声をかけてくれる。
マジでキツかったが、これで市街地の方に戻っていくのかなと思っていたが……それは前座に過ぎなかった。

30kmを越えた時点で、今大会最大級の激激激坂に突入。
先程の山間部で限界を迎えた足腰と、心を折るような急勾配。ここが一番キツかった。
流石に、視界に入る限りの全ての人がこの区間は走るのを止めて歩いていたが、一方で、絶対坂で歩かない黄色い服着たオジサンとかもいて、本当に色んな人が走り方があるなと感じた。
最後の激坂を越え、練習でもやったことのない30km以降の未知の世界。
感覚としては30km時点のキツさが割とそのまま続いていくような感じだった。
もちろん物理的に脚が上がらなくなってきていて、キツさや重みは強まっていったものの、スピード感は30km時点のまま維持し、33km地点の最終関門をなんとか突破することができた。
ゴールが近づいてくる中で、先程の47都道府県フルマラソン制覇中のお姉さん と再び遭遇。
聞く所によると『これまで走ってきたマラソンコースの中でもTOP5のキツさ』だと言う。
やはり30km付近の激坂の連続は、経験者でもキツい勾配となっていたようだった。
「初挑戦でこのコースを走り切れるのは本当に凄いですよ」
と言ってくれた。
スゴく嬉しく、自信に繋がった。
正直もうラスト3kmくらいは歩いてもゴールに間に合いそうだと考えていたが、お姉さんの一言で何だか最後まで頑張ろうという気になった。
節々が痛い、筋肉も張り詰めて今にも切れそうで、全身が鉛のように重たい。
だが、これは「死ぬまでにやりたいこと」であったことを強烈に思い出して、最後まで死力を尽くして走りきった。

記録、5時間35分32秒。
長過ぎる戦いが終わった。
完走後は数十分その場から動くことが出来ないほど、本当に全てを出し切ることができた。
わかったこと
非常にたくさんの学びを得たと感じているが、正直、完走し終えて数日経った今でも、うまく自分の中で言語化できていない状態だ。
だが、とにかく一番強く感じたのは『本当に色んな人がいた』ということだ。
思い出せる範囲でも
- コスプレしてた人(ジバニャン、ピカチュウ、ドレスを着たお姫様、塗り壁、カエル帽子の集団)
- 観客と写真撮りながら走っている人
- 途中で倒れて救護されてた人
- はぐれた人
- 坂道を絶対に歩かない人
- ずっと声出して励ましてる人
- 47都道府県フルマラソン制覇中のお姉さん
- 80歳のじいちゃん
- もう諦めちゃった人
- エイドステーションのコールドスプレーを独り占めする人
- 何度もトイレに並んでいる人
- ゴミを投げ捨てる人
- ZARDの『負けないで』を歌って応援してくれる沿道のおばちゃん達
- 1日中 学校の前で応援してくれてた学生達
- 応援に毎回丁寧にリアクションする人
同じ距離を走ってても、こんなにも多種多様で色々な表情の人がいた。
もちろん、レース経験が豊富で余裕がある人が余裕そうな顔してるのはわかるが、私と同じくらいのペースの中でも楽しんでいる人と苦しんでる人と混在していたのが印象深かった。
「人生はマラソンだ」という言葉がある。
出典は不明だが、マラソンに縁の無かった私でも聞いたことがあるようなありふれた格言だ。
たかだか6時間程度走っただけで悟った気になるのも恥ずかしいが、この格言が腹落ちするくらいたくさんの出来事と多くの人がいた。
同じ課題を与えられた時に、楽しむのも苦しむのも全て自分次第であるというメンタルの面と、
楽しむ余裕のあるものは、ちゃんと準備してきたり経験を積んできた力の有る者であるというフィジカルの面、
今後の人生も「楽しく」過ごしていくために、内側からも外側からもレベルアップが必要であるという、大きな気づきを与えてくれる42.195kmだった。

お疲れ様でした。
本当に辛かったけど、お陰で一生忘れない一日になった。
